6月1日世界的な舞踏家、大野一雄(おおの・かずお)さんが、亡くなりました。 大野さんは白塗りの化粧と緩やかな動きで知られていますが、90歳を過ぎても車いすで踊っていたのが印象的でした。
私が最初に大野さんの『舞踏』を観たのは子供が通っていた小学校のクリスマス礼拝でした。そのころから足腰は不自由でしたがはって舞台に上がり、聖母マリアを舞っていました。
この時の舞いが衝撃的で、それから私は毎年、クリスマス礼拝の大野先生の舞いを楽しみに待つようになりました。晩年は車いすに乗って、腕だけで舞っていましたが、大地に根差した生命力はゆるぎないものでした。
<49年に初単独公演。舞踏の創始者土方巽と54年ごろ知り合い舞踏に傾倒し、三島由紀夫や渋沢龍彦ら文学者をも強く刺激する存在になる。77年に発表した代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」は、白塗りの女装姿につばの広い帽子をかぶって踊る独特の姿が欧米の舞踊シーンに大きな衝撃を与えた。
その後「死海」「睡蓮(すいれん)」「花鳥風月」などを次々発表。肉体を強引に変形させ、地と一体化し、空気をも動かすような表現を追究した。その魂は、勅使川原三郎や山海塾など「BUTOH」で世界を席巻する後進の礎になった。>朝日新聞より引用。