「歯科医学へのシュタイナー的アプローチの可能性」第七節 歯科医学教育の問題点

第七節 歯科医学教育の問題点

当然歯科医学は科学であるという立場からEBMを推奨する。科学的な根拠がないものについては教えない。したがって目に見えないもの、説明がつかない方法についてはすべて排除される。1960年代の医療技術がそのまま使われている例は少なくない。

日本の場合は大学に入学する時から歯科大学あるいは大学歯学部を選択する。そのため教養課程はあるが画一的教育になり、さらに専門課程の教科が教養課程に降りてくるため教養課程の教科は内容が薄くなり、とびぬけた発想が出てこない。これに比べアメリカでは、大学卒業後に歯科大学あるいは大学歯学部を目指すので多種多様な考え方をする歯科医師がでてくる。韓国でも同じ教育システムになっている。

最近歯科医師が開業に失敗する例が目立つが、一つの原因として私が思うに、彼らの話がつまらないことにある。つまり患者との会話が成り立たないのだ。歯科医療技術は患者にはよくわからない。相性が合うかどうかは歯科医師の教養に負うところが多い。しかしリベラルアーツの足りない歯科医師は他学部を出た人間と同等に話ができない。結果としてつまらない人間ということになり、患者は離れていく。

現在の保険制度が疾病療養型である以上、治療学に重きを置いた教育になる。難しい症例、難しい病気を診断し治療できる歯科医師が名医だということになり、簡単な症例はさっと流される。圧倒的に簡単な症例が多いにもかからわずだ。簡単な症例をきちんとこなしていくことが開業歯科医の役割だと私は思っている。こんな話を聞いたことがある。国境なき医師団が戦地で治療を行う際、重症患者と軽傷患者のどちらから先に治療すると思われるだろうか?答えは軽症患者からである。薬剤、人材が限られた戦地で、治せる人から治すのだ。日本人の医師は重症患者から治療し「その患者は死ぬだろう。助けられる人間から助けろ」と言われるそうだ。難しい病気を治すのが名医だと私も思うが、軽傷の患者を正確に助けることが医療ではないかと私は思う。

現行の国家試験は手技は問わず、マークシート式の試験になっている。また適性検査は無い、ここも問題である。さらに問題なのはほとんどすべてが発症抑制型医療、つまり病気があり、どう診断し、治療するかについて出題される。臨床実地問題はきわめてこの傾向が強い。

2006年からは研修医制度が始まった。国家資格を持った後で1年間各科を回り研修する。しかし短時間に各科回りをするために、むし歯における自然治癒、再石灰化現象を研修医に見せることはできない。そのため予防歯科を身をもって体験させることは困難になる。

卒業後口腔外科医を目指すものは医学部の口腔外科医と同じ仕事内容になる。しかし同じ業種にもかからわず、歯科医師の口腔外科医は救命救急ができない。歯科麻酔医が北海道大学医学部で救命救急の実習をさせていたことが問題となり、裁判でできなくなってしまった。北欧ではどうだろうか?医学部出身の口腔外科医は歯学部で4年の研修を受けると口腔外科専門医となる。歯学部出身の口腔外科医は医学部で4年の研修を受けると口腔外科専門医となり同一ライセンス、同一の保険点数となる。医科、歯科一元論である。北欧では医学部、歯学部という分け方はせず、医学部医学科、医学部歯学科で教養課程は一緒に教育を受ける。したがって医科から歯科、歯科から医科という連携もスムーズに行えるように思う。ライセンス上同じ職業なので治療に制約はない。公共施設で働いている歯科医師は9割以上が開業医である日本と違い、約半数を占める。この中で医師、歯科医師に収入格差はない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする